2009年4月23日木曜日

告別式(2006-3-10)


簡単な朝食、オニギリを2個食べて11時からの告別式に備える。
私は従兄のS君と受付を担当している。
S君は府警に勤めて職業上?手馴れたもので私はただの手元をしているだけである。
葬儀も昨夜と同じくしめやかに執り行われる。
最後の出棺前のお別れ、私が家から持参した田舎の写真が伯母の胸においてある。
その脇にも何枚かの別の人の写真、それもおなじ田舎の家の写真。
私と同じ思いの方がいる。

バスで30分ほどの横浜市営の久保山斎場へ
途中伯母がお世話になった病院、施設の前を通る。
窓外にみる風景はアースアンカー、コンクリートで防護された山肌、そのすぐ下まで住宅が押し迫っている。
そんな風景があちこちで見られる。。
坂が多く狭い土地はコンクリート擁壁で固め、川(運河)も同じ。回りをみても緑が極端に少なく公園もなさそう。
コンクリートの塊で覆いつくされた空間の中に人間が生きている。
この街へきた伯母が田舎へ返りたいと思う気持ちがひしひしとつたわってくる。
私の母、昨年なくなった伯母にしてもやはり年老いてからは長く住み慣れた故郷を離れてこの大津にきている。
これは親孝行なのか親不孝なのか?
親は喜んできているとは思えない。

写真を胸に抱いた伯母の棺は火葬場にまもなく到着。

私の父、母のいる世界へ
伯母の大勢の兄弟妹姉妹のいる天国へ

南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀
南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

PS
品川駅で「東京バナナ」、「芋ようかん」をお土産にかうもわが家の評判は芳しくなし。

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