NHKのQPプラザに出演した。10月22日、23日開催のおおつ環境フォーラム「エコ祭り」に多くの市民の参加呼びかけのPRのためである。生放送は6時40分だが、NHK大津には4時に集合して本番前の綿密な打合せをおこなう。出演者は慣れないため必死である。私の場合は写真1枚を持って立っているだけなので、楽な気分でいられる。放映時間は2.5分と少なく要点をしぼって話さねばならず、テレビのニュースでお馴染みのキャスターも総出でリハーサルを繰り返す。さあ、本番、途中にブンブンゴマのコマがうまく回らないハプニングもあったがまずは無事終了。終了後、近くの王将で慰労会、ビールで「チアー!」てきぱきと現場で働くNHKスタッフを目の当たりにみて、定年後は自由自在の生活のわが身に久し振りの臨場感、緊迫感の体験をする。写真はそろいのTシャツを着てNHKキャスターと記念写真
徒然なるままに
定年前に妻から「わしもいく族」、「濡れ落ち葉」にならないでと釘をさされていました。 退職後は「おうみ未来塾」、「淡海生涯カレッジ」、「レイカディア大学」等で学んできました。
「市民活動」は楽しみになることが大事と教わりました。自分の居場所は環境保全・生涯教育がキーワードと考えますが、自分のもって生まれた長年の性格を改革・改造が必要と痛感しています。
2009年4月21日火曜日
唐崎学区市民運動会 (2005-10-2)
今日は市民運動会の日です。私の自治会の会長は市会議員で来賓として参加しているために副会長の私が入場行進の旗手を務める。目立ちがりやの私には願ってもない役が回ってきた。そのせいもあり運動会をはじめから最後までおつき合をした。これは唐崎に住み着いて20年だが今年がはじめて。私の自慢話になるが、中学校1年生のときの100m競争のタイムが13秒4で400余人の生徒のうちで2番目であった。これ以降タイムを計ることもなく多分これが自分のもっとも速く走れたころと思う。それ以降スポーツから離れて今はまったく走れない。参加したのは入場行進、走力と力に関係のない種目の「水くみ競争」と綱引きの応援に旗をふってくれと頼まれての旗振り参加。わが滋賀里二丁目、成績はというと、いつもと同じ程度の成績とのこと。勝ち負けは度外視をしての楽しい1日であった。地域の人と楽しく話し合うコミニュティの場としていい機会がえられた。退職して早二年、地元の人たちとも交友を広げていきたい。写真は唐崎女性部によるフォークダンスと盆おどりの1コマ 総勢150名、家内もその一人ですがどこに?
四ツ谷川流域(メールより)(2005-9-30)
いきいき河川のニシです。次回の活動予定の連絡です。 記活動予定日 10月25日(火)調査河川名 四ツ谷川流域集合場所 マイカーの方 9:20 アングライン前 集合 161号線と四ツ谷川との交差点の道路右側(みずうみ側) アングライン POPEYE161の大きな看板が目印 その他の方 京阪電車 坂本線 穴太(あのう)駅 9:30 集合 9月29日 副代表のTさんと下見に行ってきました。国道161号線付近では水は流れていませんでした。穴太駅近辺はかろうじて水が流れていました。近くのおばあさんの話では一昨日の雨のお陰だと言っておられました。お墓の中を通り、山を登っていきます。途中3箇所に砂防堰堤があり深い沢を川の流れる音と鳥の鳴き声が聞こえてきます。30分ほど歩くと川に下りる道があり、ちょっとした広場(青少年広場)になっています。多くの水量できれいな水がながれていました。この広場で毎年、唐崎学区の子供、大人たちが飯ごう炊飯を楽しんでいる所で、昔、私も参加したのを思い出しました。この先、眼下に見える琵琶湖の景色が良かったことを記憶しています。Tさんとは途中の山道で植物、昆虫を見て歩きます。・ハンミョウ・・・非常にきれいな昆虫、山道を人が歩く先へ先へと飛んでいくので「道おしえ」の名があります。・ツマグロ票紋・・・茶色の羽に模様、雌より雄のほうがきれいです。九州を生息地としていたが最近は温暖化のためかここいらでも良く見かけるようになったそうです。その他チョウのコミスジ、センチコガネ、それとベッコウバチとそれに麻酔を駆けられたクモをみついろいろと面白い話をきく。いろいろ教わり楽しい下見をかねたハイキングでした。次回は私用で欠席いたします。楽しい河川調査を兼ねたハイキングを楽しんできてください。 ニシ「いきいき河川」学習グループへのメール連絡より抜粋写真はきれいな色をしたハンミョウ
おおつエコ祭り(2005-9-26)
おおつ環境フォーラムの年1回のお祭り「おおつエコ祭り」が10月22日(土)、23日(日)の両日開催される。私たち12のグループがそれぞれ活動している環境保全に取り組んでいる姿を市民に知っていただくとともに、多くの賛同者に会員になっていただくことを目的として催される。自分はエコ祭り実行委員の広報委員のため、今日は龍谷大学、立命館大学にPR用チラシを持参しての説明に伺う。両大学とも後期授業の初日か、若い人で活気がある。チラシの枚数も予算上の制約もあって、各大学に50枚をお願いした。 そのあと、同フォーラムのホームページ検討会に参加する。エコ祭りの開催に合わせてグループの活動をホームページで見てもらいたいとITに縁の少ないシニア、それなりにみな一生懸命にパソコンとにらめっこである。昼からは立命館大学の学生さんに手伝ってもらってのTシャツのアイロンプリントの製作にかかる。これはNTTのQPハート出演のさいのユニホームと考えている。写真は出来上がったユニホーム(550円/着)と手伝っていただいた学生さん
地域安全、防火・防災委員(2005-9-25)
大津市全域で地震発生の想定の基に、唐崎学区においても防火、防災訓練があった。例により、副会長をおおせつかると、防火、防災委員の役が回ってくる。朝、8時から会場の設営、9時から防災訓練である。煙体験、消火訓練、応急処理訓練、搬送訓練と消防員の指導のもとにみんなそれなりにまじめである。毛布と竹(物干し竿OK)をつかっての担架が実用的で印象に残る。忘れた頃に災害はやってくるというが、訓練も忘れないうちに年に1回はやるのもいいことだ。私の住むすぐそばに琵琶湖西岸断層帯があり、地震のおこる確率は30年で8%と教わっている。あの阪神・淡路大震災とほぼ同じ確率であり他人事ではない。いま、ウェブの滋賀県の地震対策情報を見ると震度6、7の想定となっている。実施訓練に出て他人事ではなく差し迫った現実的な問題と認識する。その後、交通安全の委員でもあり、遅まきながら安全旗(7本)を地域内に家内を伴って立掛けにいく。強風の中、思いのほか時間がかかる。昼食は2時 朝食が早く腹が減る。特別に缶ビール!うまい!!写真は安全旗と掲示板(貼るのも副会長のお役目)
志賀八幡宮例大祭 (2005-9-18)
滋賀里自治連合会の役を仰せつかった関係もあり、お祭りすべての行事に参加した。午前の本殿祭に始まり12:30から先日作った鉾を先頭にして、当家、役員、お稚児、神輿担手の順に宮入である。鉾は南志賀、滋賀里、蟻の内地区の3つの鉾があり、その鉾は神社の裏山から切り出した竹を使い代々引き継がれてきた技法によるものでそれぞれ形がちがっている。神輿渡御(みこしとぎょ)13:15 南志賀と滋賀里、蟻の地区の二つの神輿が同時にスタート。神輿の重さは400kgと聞く御還御(ごかぎょ)19時その間、5時間余の間、担ぎ手60.70名で30名が替わりばんこで担いで回る。各自治会の御旅所では組長さんはじめ地区の人総出で接待を受ける。そして担ぎ手は唄でもって返礼とする。現代社会で失われた昔の懐かしい風情を感じる。最後のクライマックスはかがり火の中、参道を2つの神輿が行きかい、勇壮な姿に感動する。私はただ略礼の服装で神輿について回るだけであるが、それでも疲れて汗だくであった。担ぎ手に負けないぐらいに水分(お酒)の補給。若い人のたくましい活力を肌に感じてうれしい気持ちの1日となった。
スポーツ放送 (2005-9-15)
プロ野球、大相撲、最近は観てもつまらなく、とんとみなくなった。子供の頃は稲尾、中西の西鉄ファンで金田、長島、王、その前の川上、藤村、大下、大友、杉下、別所などおもいだす。相撲といえば、大鵬、柏戸、もっとさがれば、先代の若の花、栃錦、その前の吉葉山、鏡里と千代の山、長身大内山、巨漢、大起などなつかしい。今はもっぱら松井、イチローなどの活躍するメジャ-リーグの観戦。時間を気にせず観られるし、自由な身の私には朝方の放送なのがまたよい。今日はヤンキース松井の活躍もあって6対5で辛勝、プレーオフ進出かけてもう後に引けない。 夕食時、夜のニュースで朝青龍6場所連続優勝とか琴欧州ただ一人5連勝とか耳に入る。そこで一句、 大相撲 どこの人どと 世界地図
ニンジン葉(2005-9-14)
志賀八幡宮例大祭の鉾立(2005-9-11)
今年の例大祭は9月18日(日)に挙行されるが、今日はその日に奉納される鉾つくりである。この八幡さんの建立は1400年前というから飛鳥時代、聖徳太子のころか。近くには崇福寺跡、穴太廃寺、南滋賀廃寺跡や百穴古墳などがあり大津京の時代にはこの志賀の里もたいそう栄えていたことだろう。宮司は村から選ばれた当家が鉾を奉納する行事は当初からつづいているという。鉾作技能保持者2名にあまり頼れない自治会役員の面々で作業にとりかかる。私は不器用につきもっぱら図面を見ての指図と写真撮影にこころがける。このような伝統行事は残していきたいもの。鉾作り完成後の直会、酒を酌み交わしての親しく話し合うのも楽しいもの。丁度、選挙投票日もあり、選挙談義にはいる。川○負けて、上○勝つという人、まだまだ無理だろうという私。選挙は分からないもの、選挙は水物というが然りなり。写真は鉾作り風景
HP研修(2005-9-8)
今日は9:30から立命館大学でのホームページ研修会にでかける。NHK朝の連続ドラマもそこそこに我が家をスタート。きれいなキャンパス、9月20日まで夏休みだというのに大勢の学生さんがいる。目指す笹谷先生の研究室へ、今日は各グループのHPのTOPページつくりである。おおつ環境フォーラムは8つのプロジェクトグループ4つの学習研究グループにわかれている。そのほかにあらたなグループつくりをめざす企画グループがある。今休止中のホームページを早く構築し、おおつ環境フォーラムをアピールして、賛同者、仲間を得ようとみんな必死でなれないホームページつくりに奮闘している。写真は木村さん三宅さんの学生さんに教わってのHPつくり風景
工事現場見学 (2005-8-30)
今回のグループ活動は自然公園特別地域を通る高速道路の工事現場の視察である。パンフレットにはテーマー「森と水に囲まれた高速道路~環境と景観の融合~」、地域の自然、景観、文化と共生した道づくりを目指すとある。道路公団としても今回のような試みは初めてとのことで、しかも発注後の設計変更によるという。新生公団躍如というべきか、お役所ならでの最後の大判振る舞いか?いずれにしろ、つくる構築物か必要、不必要なものかを含めて、自然との共生にはお金にしろ、我慢、痛みが伴うものである。作るならこの現場を是非参考にして戴きたいものだ。「自然との共生」いぜん黒川紀章さんの共生(ともいき)の講演に感銘したのを思いだす。ちなみにこの工区をはさんだ土山甲賀と信楽インターチェンジの二つの工区は在職中に携わっている。かれこれ10年近く前になるがその時の設計とくらべると隔世の思いがする。今日はあたらしいことを多く学ぶことが出来た。写真は人々に親しめ、生き物にやさし河川づくりを目指した隼人川(大戸川に合流)の付け替え
唐崎学区納涼祭(2005-8-28)
農園日誌8月 (2005-8-27)
ホームトレード(2005-8-26)
今日は終日、株の資料整理をする。リアルタイムの入出金が出来、しかも国内ばかりでなく外国の株、投資信託、外貨預金が簡単にいながらにしてできる。私の場合は手数料の安いソニー銀行、楽天証券他を利用している。今流行のBRICSのうち中国株を去年の6月、インド、ロシアの投資信託を今年の4月から勉強のつもりで始めている。今日はインド、ロシア株は直接株の投資が出来ないのでアメリカのADRを通した株取得についてしらべてみた。私の場合は特定口座を利用しない自己申告でやっているので2月の税申告のときは書類作成が大変である。特に外国との場合は為替が絡んでくるからなお煩雑になってくる。曲がりなりにも申告を済ませることが出来るのもパソコンのおかげと感謝している。
レイカ星目会研修会(2005-8-24)
大型ゴミ当番(2005-8-22)
お盆の供養 (2005-8-15)
例年、総本山の西教寺の里坊から、お盆のお参りに来ていただいている。今の若い徳乗坊さんはお坊さん大学を出てすぐのころからでもう10年程になるんかな?最近は以前ほどでないがそれでもかなり恰幅のある方である。お話も上手になられてお説教をきかしてしていただくのが楽しい。今日教わったことお線香を立てるのは何本か?現在、過去、未来から3本をたてる。新仏のときはその人にたいして祭ることから1本と教わる。仏教でインドは7、中国は5、日本は3の数字がよく使われるという。神社の7・5・3となんかの因縁ありきか?数字といえばお経を聞いていると千、百、十、一、三とかの数字がよく耳に聞こえる。除夜にたたく鐘(煩悩の数)108つは四苦八苦=4*9+8*9=108うそかまことか駄洒落の類だと思うが東洋では数字を使った語句がやたら多いのは仏教からなのだろうと考える。
お盆のお供え(2005-8-13)
墓参り(続き)(2005-8-11)
お墓参り (2005-8-10)
我が家では春、秋のお彼岸とお盆の年3回墓参りをしている。お墓は両親の親元の小田刈にある。この村も今回の市町村合併で東近江市小田刈町(以前は湖東町大字小田刈)となり町名は大きく格上げされた。朝6時に姉と家内の3人で車で出かける。今までは名神高速道路だったが今回は料金が無料になった湖西バイパスを使って堅田~琵琶湖大橋~湖岸道路~近江八幡の経路にした。所要時間1時間ジャストで名神経路とほとんど時間差なし。到着7;00皆さんも涼しいうちにとこの時間は大勢の人がお参りしています。墓参り いつものカラス お出迎え供えしを 取られまいかと 落ち着かず父母に すまぬとわびる 墓参り 村を離れて長男の住む横浜に引き取られ、今、病に臥している伯母にお墓参りと旧家の写真を送る。
大津花火大会(2005-8-8)
夕方、家内を大津の石田歯科医院まで送っていく。ここの庭がお気に入りのためにいきつけの病院である。浜大津近辺は打ち上げ花火をみようと多くの人でザワザワしてきた。若い二人ずれを多く見られ、そのほとんどの女性はカスリの着物を上手に着こなしている。イヤリングなどつけた現代風の着物姿が面白い。今年も夕立があったが着物は大丈夫かな?花火は7時30分にはじまった。写真に収めようと自宅の2階から身構える。しかし、折角の花火も雲が邪魔してよく見えない。私のうちは北北西にあり、今年は風向きが悪く、あるいは風がなく折角の花火も残煙が邪魔している。8時30分には打ち上げ終了。1時間の花火見物、そのあとの帰りが大変だったでしょうね。間近で見上げて見た人はよくみえたんだろうかと気になる。
世代交代(2005-8-4)
お見舞い (2005-8-3)
午前11時過ぎ、大津日赤病院に南滋賀の伯母(98歳)を見舞いにいく。母方の兄妹は7人で親元は片田舎の湖東町の小田刈である。幼少のころ愛知川や近くの小川でおよいだり、魚を獲ったりしてよく遊んだものだ。現在も小田刈に住んでいるのは長男の叔父さん直系の一家族だけである。この伯母、埼玉の伯母、そして私の母(平成5年没)もそうだが年老いてからは(家族が見かねて)住み慣れた土地を離れて、不本意ながら息子たちの住む街に移り住んでいる。伯母は2回目の腰の骨折で、今回は他に肋骨の骨も2本折れており、こちらは自然治癒を待つのみでコルセットをはめていた。付き添っている従兄(72歳)の話では今までいた老人ケアーセンター(賃貸)は3ヶ月空けてると部屋を出ねばならない、病院とて3ヶ月経ったらこの病院を出ねばならない。このような高齢者の面倒や、リハビリをどうすればいいんだろか?完全介護してくれるような施設があるんだろうか?子供に期待することができないし、また、過度の負担もかけたくないし、、、。退職前の社内講座で罹りたくない死因別のワーストワンは日本人はガンで欧米人は脳溢血と教わったことがある。私も当時はおなじ思いだった。欧米人の考えるあとくされのないガンのほうがいいのかなあと妻に話すと彼女もうなづいていた。(私の父は脳溢血で家内の両親はガンである)いずれにしろ人間、最終は、、、、、、。、、、なかで、心安らかに、、、したいものだ。写真は世代交代直前のキュウリです。よく頑張ってくれました。
オクラと納豆(2005-8-2)
自然にやさしい川?(2005-8-1)
おおつ環境フォーラムのいきいき河川Gに入り「生物のすむ自然環境を配慮した川づくり」を唱えてきた。ではどんな川づくりをすればよいのかというとうまく説明できない。文献を調べ、実際の現場をみて多くのことを学ばねばなるまい。パソコンで「河川改修、環境」で検索してみた。そのなかで特に注意を惹いたのが~人と水を考える~であった。そこには竺先生が話されていた福留先生をはじ多くの方々の報告書が修めてあった。次に大津市、滋賀県のホームページをさがす。謎解きパズルのようですぐ探し出せないがいいのを見つけるとうれしくなる。図書館まで行かなくても済みそうだ。便利かなパソコン様
拝啓 女性部長さま (2005-7-31)
私が自治会の役をひきうけたものだから、家内に地区の女性部長に自動的にさせられている。昨夜は9時まで踊らされ、、今朝は朝の早くから、例年、唐崎駅前で繰り広げられる盆踊り大会の参加者集めである。209世帯の自治会員のこの地区で引き受けてくれた人は4人。午後のいま、あえなかった人へと再度でかけている。私のために女性部長になってしまったので私も気がかりである。こんなのやめてしまえばよいと思う反面、ますます薄れていく地元自治会のコミニュテイのことを考えると、それでも続けねばならないとも考える。私自身、今年から市民活動をやりはじめた(つもり)がなかなか自分の思うとおりに事が進まない。人それぞれのスタンスがあり自分のそれとどのようにすり合わせればよいのかと考えてしまう。ついついやめてしまおうかといつもの安易な方へ流されていく自分がいる
唐崎子どもまつり (2005-7-30)
例により夕方、畑から帰ってくると、家内は着物を着ている最中だ。今日は唐崎の子供祭りでその催しとして7時過ぎから唐崎学区婦人会総出の盆踊りを踊らなければという。私も時間を見はからってカメラをもって出かける。校庭のグラウンドの周囲はいつの間にか金網ではりめぐされていた。一箇所小さな穴が開いていて底からもぐりこむ。昼間は子ども会の役員によるみたらし、うどん、かき氷などの販売をしていたが私が行くころは終わっていた。広い校庭に婦人会による盆踊り100名くらいだろうか、無理やりに借り出されたのだろうが、女性部長様の豪腕振りが推し量れる。その他のこども、大人100人程度が一緒に踊ったり、みたりしている。私がここに来たころ(20年前頃)は大勢の子供が最後の花火の打ち上げまで楽しんでいたのと比べると随分と少なくなったものだ。
農園日誌 (2005-7-28)
パソコン様ざま (2005-7-27)
現場生活30年勤めた後は大阪本店土木計画部に7年間在籍した。役職もパソコンは自分でたたかねばならない境遇であったことが幸いしてお陰で若い同僚にしつこく教わったパソコンが今では離せないものになっている。競馬投票、株式投資は金の出し入れから注文すべて即座に出来てすこぶる便利であるが儲かることなく損ばかりで妻に立つ瀬がない。このごろはXOOPSを使ったホームページをやっているが金がかからず、自己満足に浸っているが、思うように進まず、苛立ち、挙句は目がかすれてくる。我が家の家計簿、結婚以来35年間妻がズーと書き続けてきてその記したノートは33冊を数える。この2年は家計簿はパソコンに変わった。パソコンは便利ではあるがノートのほうが実生活の思い出を強く感じさせる。万事塞翁が馬のたとえあり、パソコンあるのも良いのやら悪いのやら。 写真は2階雑然としたパソコンをなぶる部屋
自治会の清掃、除草作業(2005-7-24)
地区の副会長として一昨日は9時からの夜間パトロールに参加しました。今日は朝9時から大通寺古墳の清掃、除草作業に出かけます。古墳清掃は年3回あり3役はすべてに参加し、各組長さんと老人クラブの方は一回参加することになっています。以前はその見返りに15万円が自治会に入ってきたんですがこのごろは5万円に減額されたとのことでした。ここにもお役所の厳しい財政事情が反映してます。家内も私が役になると必然的に自治会の女性部役員にされてしまい、唐崎駅前の清掃、除草に駆り出されていました。(2週間ほど前)自治会の貴重な収入源になるんでしょうね。50,000/1.5時間*8人*3回=1300円/時間 今の自分の時間当りの単価か、昔の1/10か?つねに歩掛のなかで仕事をしていた身としてついつい計算してしまいます。写真は大通寺古墳の清掃、除草作業風景です。
妻の手習い(2005-7-18)
家内は今日は週1回の習字の手習いの日である。先生の自宅(大石)に車で9時過ぎに出て12時過ぎにかえってくる。習字の先生は甥の仲人をしていただいた方で、それがきっかけで習い始めた。遠く離れているが生徒さんがいない日を選んで結構楽しくやっているようだ。最初の作品が7級、以来毎月1クラスずつ進級していき1級からは何ヶ月か進級はストップしたままである。それでも私の囲碁と比べて早い。私は自己申告の2年前の7級からすぐに5級に進級、去年の夏3級、それ以降据え置きのままである。片づけを終えて夜の10時、11時ごろからはじめて12時ごろまでやっている。そのつど、私に感想を聞きにくるのだが大体がフトンのなかでうとうととしている頃である。ついつい、いい加減な返事となって「お父さんの批評ではねえ」と不満げである。上手といわれる人の作品の良し悪しの判断が自分に分かる由もないが家内程度の作品なら、うまくなっているかどうかぐらいは判る。特に細字で書くサインがよくなっている。何度も何度も書いていくうちに少しずつコツをつかんできているようだ。妻の父はなくなる直前(88歳)まで京の表具師一筋であった。その父の血を引いているのかもしれない。私の葬儀には筆書の心配もなかろう。写真は我が家の真夜中の作品展
農園日誌(2005-7-15)
うだるような暑さ、日差しが弱るのを待って夕方畑作業にでかける。里芋・・・植えるとき種イモの上下の間違いもあって成長遅く、まちまちである。2回目の土寄せと追肥。ナスビ・・最近は収穫、成長が急減、害虫による被害も甚大。思い切って秋ナスビの収穫に備えて枝を切り込む。追肥トマト・・桃太郎は全滅、ミニトマトは今が盛りで収穫時期。実150個以上収穫。油粕と化学肥料の追肥。キュウリ・・落ち込んでいた収穫が戻りつつあるが形が悪く実に少し巣があり味落ち。今日は10本の収穫、追肥。ピーマン・トウガラシ・・自宅の隅で収穫真っ最中。苗の値段もはじめ90円のナスビの接木苗が今は倍の180円と年々15から20%の値上がりである。これも素人お百姓さが増え苗の需要が増えたためであり、仲間が増えることはうれしい。そろそろ野菜つくりも苗からでなく、種からはじめることを考えよう。おそつくりのキュウリをためしに種からやってみた。種蒔6月15日、畑移植7月6日であるが、苗に元気がないのが気にかかる。
自治会副会長の仕事(2005-7-15)
この春から私の住む自治会の副会長を仰せつかっている。自主的にでなく輪番制のためであるが。この役目、きのう、今日でほんとイヤになった。血気盛んなというか妻もいい、自分も認める短気な私は今度の事態に文句を言わずにはいられない。よってここに書いて憂さ晴らしとしたい。自治会の定期の回覧が月2回あり、昨夜はその回覧の仕分け作業である。取り掛かったのはヨルの9時過ぎから、途中から後片付けの終わった妻も加わる。私の自治体は12組の208世帯で、わたしの家に届いている配付物を組み別に仕分けねばならない。その仕分けも個別、回覧、特定個人あて配付から寄付金徴収と多岐にわかれている。ナンじゃこれ、なしてこんなことせにゃならぬ。仕分けせしもの廃付物なりやの想いせし、ふんがたこれなし。まだ、作業残りしも明日にせんと就寝せし。時は子の刻なりし。朝、6時に目覚めし二人して作業をまたはじめしも徐々に気分悪しきこと、はなはなしきけり。(誤字おおしからんは容赦たもれ。これ、気分晴らさんための仕業なり)調子にのってスミマセン。あまりに多くの配付物にとうとう我慢しきれず日吉大社(みたらしの祈祷の予約と祈料の徴収)と社会福祉協議会(賛助会の募集、会費徴収)に苦言の電話をかける始末。朝食をはさんで仕分けを終えて12組の組長さん宅に届け終わったのが11時半でした。まだまだダメですね、こんな私です、、、。そういうことで私の朝の仕事の掃除は今日はせずに済みました。これで少しは気分が治まりす。お陰で。お休みなさい。この写真わかります?、、、真夜中の作業風景です。
星目会(2005-7-13)
私の所属する「星目会」(会員35名)はレイカディアのOBの囲碁を愛するメンバーの集まりで、毎週水曜日午前10時から5時まで草津のなごみの郷で定例会を開き囲碁を楽しんでいる。ここんとこ、はかどらないホームページと目の疲れで碁石と離れれていたが今日は久し振りに定例会にでかけた。今日の戦績は0勝2敗それと指導碁一局のあわせて3局楽しんできた。会には杉浦さんの7段はじめ高段者の方が沢山メンバーに加わっている。ちなみに今日の指導碁してくださった中尾さんはこの会の会長(5段)は囲碁のボランティア会員に登録されており高齢者の囲碁のお相手にあちらこちらといかれてお忙しい。級の指導碁において、「白い石は弱いと思ってはいかん」と一言。私の碁はけんか碁、無茶碁とよく言われる。どんな対局者にも相手の石が弱いと一直線に攻めていく。その挙句は強い相手にはこっぴどくやられて最後まで行かずに中押し負けとなることが多い。。囲碁のことわざに「石は自分の弱い石から」とあるがどうもこの視点が対局しているうちに薄らえて本来の自分に戻ってしまう。「白い石は弱いと思ってはいかん」。このことを指摘されている。自分の今までのこの60余年の生き様が囲碁をとおして見透かされているようで怖い。それでもあいもかわらず我流の囲碁を楽しんではしゃいでいる。いまだ私の級位は3級から一向に上がらず据え置きのままである。妻は私より一年遅れで始めた習字は初めて7級もらっていらい今は1級になって近じか初段の勢いである。自分のほうからどちらが早く進級するか競争と言わなければよかった。しかし、囲碁は実に楽しいものだ!!ただし、礼儀・作法はわきまえねばならない。特に自分には。写真は今日の真剣な定例会風景
レイカディア大学(2005-7-12)
ホームページの「学び舎のリンク」作成中にレイカディア大学の学生募集中に気づく。レイカディアOB,現役の人たちとは囲碁クラブ「星目会」でお付き合いをしておりよく存じているし、去年も申込んだが落選している。まだ間に合う。早速申し込むことにする。第1志望 園芸学科、第2志望 柄にもなく文芸学科(ほかには陶芸、生活科学、スポーツの学科)を選ぶ。提出先は市の高齢者福祉担当課になっている。ホームページで探すがすぐにみつからない。各部の連絡先・**情報からたどり着くが分かりづらい。もう少し親切で分かりやすくしてもらいたいと願う。自分のホームページを差し置いての意見具申で恐れ入るがこちトラは素人に付き多めに見て頂くとして。 写真は星目会での一こま
ミニトマト(2005-7-11)
視神経障害 (2005-7-9)
妻が耳がおかしいというので日赤へいく。なんとかの病気で低音の音が聞きづらくなり、それの原因はストレスからくるという。長男が会社を辞めて去年の暮れから家に帰っており、公認会計士試験を受けるといって妻に世話をかけているのがストレスの大きな要因のようだ。私も緑内症を患っている。淡海生涯カレッジOBによる囲碁クラブ「星目会」に入っておりその新年会の碁会のさいに激しい目の痛みがあって眼科にいった。それがきっかけで初期のうちに緑内障であることがわかった。おかげで定期的な検診だけで今は済んでいる。おたがいに視神経の障害には注意していかねばならない。いきいき河川の調査まとめ2日かかっている。少し、目と体が疲れた。目の酷使を避けねばならない。では、おやすみなさい。
ロンドンのテロ (2005-7-8)
また起こった無差別テロ、ぞっとする。自爆テロ、理解できぬ。以前の英国旅行中にロンドン地下鉄で火災騒動に遭い右往左往したのを思い出す。日本より地下鉄は深く、エスカレーターのない駅もあり、避難するのも大変だったと推し量る。自爆といえば日本では今はなき鶴田浩二の映画の神風特攻隊を想いだす。鹿児島の知覧を訪れたこともある、若くして海の藻屑として消えていった若人を思うと切なくて気が沈む。アルカイダによる無差別テロ、自爆して死んでいく兵士はどんな思いか。日本の特攻隊の兵士と同じ感傷にはなれない。オウム真理教のたぐいなのか、いや、昔からの宗教がらみでありもっと深いものだろう。多神教の日本人にはよくわからないが、恐ろしいことだ。靖国参拝、領土問題、教科書問題など国家間の取引は厳しい。ちょっと前は国土交通大臣もあちらこちらと大変だったが外務大臣もいろいろ大変だ。小泉さん、もともとやせていたが最近はやせこけて見える。定年退職の身、自由気ままにすごして、生きがいのある人生を過ごしたいと思っているがこのご時勢、もってのほかなのかもしれない。
ジャガイモの収穫(2005-7-7)
梅雨空の晴れ間の午後をぬって初めて手がけたジャガイモの収穫にでかける。晴天が何日か続いたあとと本にあるが、長く続いた雨に痺れを切らしてでかけた。作業途中から雨にであう。急いで最後まで堀り上げて雨宿りをする。すでにベテランお百姓さん(この方も小島さんで昨日おぼろ池川のことをきいたかたのお兄さんであった)も同じく雨宿りしていた。畑談義をして雨がやむのを待つ。談義といっても私のほうがいろいろ教わる。その話の中でいま収穫したジャガイモをみて、土のよく乾いた日にするもので腐らせないようにすぐに乾燥させないといけない、今なら土を洗い落とした方が良いと教えていただく。早速すぐに、水洗いのかわりに妻の助言もあって乾いた布で土をそっと拭き落として半分は近くの見世2丁目の姉に、残りは縁の下に仕舞こんだ。ジャガイモは元来、寒いところのものであり、梅雨、夏季の保存は難しく、土が付いていると湿気、高温により菌が増殖し腐るんだろうと自分なりに考える。芽がでているジャガイモは毒ともきく。ジャガイモは繊細で保存も容易でない。写真は後取ったもので不良品のジャガイモと一緒に記念写真今日は妻の?回目の誕生日、また、今年もお祝することなし。昔はそれも2,3回程度か、ケーキを買って帰った記憶があるが遠い話になってしまった。これからはますます誕生日といって祝う年齢でなくなった。
おぼろ池川(2005-7-6)
前回のいきいき河川調査「おぼろ池川」の報告を任された。私の住んでいる滋賀里の近くを流れる川である。報告をまとめるにあたり、再度、調査にでかけた。おぼろ池を知りたく唐崎市民センターへいくも資料なし。川をたどっていくうちに地元の小嶋さん(滋賀里の地の人は小嶋、白子姓が多い)に会う。おぼろ池川について話を聴く。自衛隊の射撃場の上に3つの灌漑用のため池(おぼろ池、山田池、どんでん池)があり今は土砂で埋まっている。おぼろ池は村池として親しまれていたという。3つの池から流れ出た水路は農業用水としてまわりの田んぼに水を供給して最後は河口近くでひとつの小河川になってびわ湖にたどり着く。自衛隊射撃場の造成のときに川が改修されそのときに河口付近のおぼろ池川も100mほど南にふられたとのことである。改修当時の状況からして河川はすべて3面コンクリート張り構造である。今回の河川改修は唐崎小学校正門前から下流側、びわ湖河口区間までである。現在、そこは魚が生息している唯一の区間でもある。わたしがこの地にきたのが20年前、ホタルがその頃は乱舞していた。が、今は皆無である。今回の河川改修では自然環境の改善に配慮することを切に望む。写真は赤塚の明神さんとして地元の人に親しまれている倭(しどり)神社。旧北国街道に面しており、近くをおぼろ池川が流れる。5世紀前半の古墳跡にある神社は樹齢400年のケヤキ、250年のクスノキの大木があり、由緒ある神社。
パリ祭 (2005-7-5)
チャリティーコンサート「パリ祭」に招待され夫婦二人で参加した。京都の国際交流会館イベントホールで収容人員200名程のこじんまりしたホールであった。音楽学校で学ぶプロ、アマ、老若男女の出演で今回は男性2名女性21名の出演者によるシャンソンの独唱。招待して下さった逸見さんとはおうみ未来塾5期生で生涯学習をテーマとした同じ仲間である。お父さん(60歳)がなくなられた頃を思い出して「さくらんぼの実る頃」を熱唱された。いたく感激!入場料4000円、これってみんな招待客の人ばかりでは?そんな勘繰りしてはいけない。スマトラ沖地震津波募金に二人して奮発せり。関係のない話逸見さんと妻とは50数年前に会っていたことが判明母と妻の幼少時、訪れた先でいただいたスキヤキを憶えておりその家が逸見宅、母同士はごく親しい幼な友達であった。自分も5,6歳のころ、親戚でいただいたカシワのスキヤキが鮮明に想いだす。それと小学校の頃の弁当、鼻高々な卵焼き、肉といえば鯨の肉(今では手に入らなくなったが)、熱を出してはミカンの缶詰物覚えの悪いのに幼い頃の食べ物のことはよく記憶に残っています。 (たわいなし 思いだせしは 食ばかり )
歯の治療 (2005-7-4)
今年の夏は梅雨らしき雨もなく終わると思っていたらここ1週間ほど梅雨らしくなってきた。例年通り、京都の祇園祭の大荒れの直後に梅雨明けとなるのだろう。畑を作るものには恵みの雨だ。ジャガイモの収穫が伸びるのが少々気がかりだが。午前中は雨がきついので空いているだろうと歩いて10分の歯医者にむかう。案の定私は2番目であった。もともと無精者、無頓着な私である。歯も恥ずかしいばかりである。ここの歯医者さんへは2年前の旅行に出発する直前に急遽、ゆれる歯(複数)同士を接着して固定してもらった。「すぐとれるかもしれない」といわれたのがまだしっかり付いている。歯科医は敷居がたかく、痛みに辛抱仕切れなくなるまでいかないが今回は意を決して出かけた。「案ずるより産むが易し」(男性として実感のない例えだが)で、もっと早くいけば良かったのにと思うことしきりなり。3箇所の詰め物で診療費は5、610円也。この後は大してかからないだろうからこの際よく診てもらうことにしよう。思うに診療費は今は個人負担3割である。私の退職時の2年前は2割でその少し前は1割、その又、前は負担無しが続いていた(土建保)。診療費といい、年金の受給といい、いざ自分が恩恵を受ける段になって悪くなっていくのには閉口する。いまの若い人などは私たちよりもっと惨めになる。少子高齢化が急になったわけでもなくなんとか対策をとれなかったのか。自分が65歳のときは老人人口比率は25%をこえてしまう。凡人には対策の施しようもない。ただできることは「自分の身は自分で守る」。昔、工事現場で安全朝礼でいつも言った言葉である。
びわこ一斉清掃
今日はびわ湖をうつくしくする運動一斉清掃の日。例年だと6時半ごろになると近所の人たちの声にあわててでかけるのだが(もっぱら妻が)、ことしは、いたって静かである。今年は自治会の役をおおせつかっている手前、二人して7時に外に出た。家内は表道路と側溝の清掃に私は裏の水路とに分かれる。裏の水路は私のうちから次の合流点までの80mは上流より狭くなってている(Uー300→U-240)ため、レンガを並べて自主防衛をしているが常に雑草、土砂の除去がかかせない。年々清掃に加わる人の数が減ってきている。人口の高齢化とともにコミニチィーのなさからだろうか。私のいる滋賀里においては自治会のご尽力によりコミニテイセンターが昨年オープンしているがほんの一部の人の利用にとどまっている。折角できた、この施設を活用して地元住民との交流の場にせねばなるまい。唐崎学区の住民の1/3は非自治会員と聞く。子ど委員とかスポーツ委員などの役があたるのを嫌ってお年寄りがやめていかれるとも聞く。役員の決め方もくじ引きで否応なく決めてしまう。コミニテーイの不足を感じてしまう。何とかとかせねばなるまいと、、、。3箇所に集積したゴミは11時にやっとつみ終わった。最後は会長、副会長、会計の3役となる。やっと、朝飯た。
ホームページ(2005-7-2)
雨の合間に実のなっているトマト、ナス、キュウリに油粕を施す。サトイモには先週土寄せ時に化学肥料をやっているのでカリ肥料を少し。ナスにいるテントウムシダマシをおよそ20匹ほど捕殺する。おうみ未来塾の日高先生の講義で「害虫、益虫は人間の勝手で決めているもの」の講義を思い出して南無阿弥陀仏。これでも去年と比べると数段少ない、これも異常気象のなせることか?去年のクマ騒動もしかりである。午後から毎度のXoopsの練習をかねてのホームページ作りである。分からないところは木村さん(立命館大学生さん)に尋ねてやっているがなはかどらない。聞いたり考えたりそれでも少しずつ分かってきていると思う。それが楽しい。このごろはダウンロード、リングのモジュールに取り掛かっている。自分の旅行記、アルバムをリンクそしていきいき河川の活動記録をダウンロードしてみる。どうやらうまくいった。あっという間に時間がたつ。「お父さん!」の声、階下からする。早く降りねば!夕食の時間です。
般若心経(2005-7-1)
切なる想い(百々川)(2005-6-29)
「どどがわ」と読む。昨日、竺リーダの案内で百々川の中心部を観て回ったが、再度、おおつ環境フォーラムのいきいき河川グループ仲間の福田さんにご案内をお願して全流域を視て歩いた。京都への山越えの主要街道小関峠を源流とする河川で長等、三井寺の商店街を通ってびわ湖に通じる。歩きしも 流れる川の 姿なしこの有様をみて、昔、たぶんそうであったようにきれいな水がまちなかを流れる姿を取り戻したいと強く願う。歴史あり、自然豊かなまち、安住のまちと定めた大津市、このまちの活性化を願うものの何も出来ない自分をもぞかしく思う。そのあと、日赤の裏にあるお寺(近松寺)と旧逢坂山隋道東口にいき湧き水の状況を調べる。この隧道は明治11年に日本人技師の手によって初めて作られたとの説明書きあり(ちなみに側近の琵琶湖疏水の着工は明治18年)。土木技術者の端くれとして先達の築いた偉大な遺産、旧逢坂山隧道がローマのトレビの泉のごとく湧き出た水がまち中を流れて安らぎを与える。これは夢物語なのか、実現したいと願う切なる気持ち大なり! 写真は旧逢坂山隧道東口
川づくりにかける思い(2005-6-28)
おおつ環境フォーラムのいきいき河川の活動の一環として県発注の市内河川の工事の発注についての情報収集に大津合同庁に伺う。我らのグループからリーダー竺先生他7名、県から玉置河川砂防課長の出席をいただいた。9時から11時までの話し合いのなか、県との情報徴収、私たちの思いを語りあった。前月の市の河川課と同様、今回においても私たちが入り込む余地がなかった。公共工事と住民参画私とうたわれて久しい。私たちたちと同じ思い「自然にやさしい河づくり」をと願う人々がより多く参画できる機会が得られるようにしてもらいたい。参画の機会をえる活動が私たちの活動のスタートかもしれない。午後、唐崎小学校のそばを流れているおぼろ池川の調査。(前回の市河川課との会合で得たち資料に基づき)よくみると魚(もろこ、鮎?)がかたまって泳いでいます。正門前のすぐそばです。学童たちにきいてみたいです。「ここに魚いるの知っている?」写真は調査中の情景(河川改修について私の考え)平成9年の河川法改正により治水、利水に環境が加えられ、河づくりには自然環境に配慮すると法令に定められた。それを機会に公共工事と住民参画、協調がうたわれてきた。参画者はえてして工事の協力を得るために近くの住民、自治体が対象となる。そこでどうしても地元住民たち優先となり、利便性を中心とした器量の狭い範囲の要求になってしまう。今の河川の状況を省み、自然にやさしい河川を考えるとき、人間の利便性だけでなく、「人間も自然にたいしてある程度の我慢」が必要である。「人と自然のほどよい調和」に心がけることが大事である。市民活動に興味をもち、その間、観て歩き、いろいろな人から教わり、感化されてきた私の自論である。公共工事と住民参画を考えるとき地元住民だけでなく、もっと広い範囲、視野をもって参画者を決定してもらいたい。その住民参画も、工事着手直前の一次しのぎの地元説明の類でなくて、手間と時間をかけて調査、計画・施工中そして施工後の各段階での住民参画でなければならない。 私たち、みんなの川づくり、自然にやさしい川づくり、マイリバーであってほしい。長年、土木技術者として携わってきて、自然を壊す立場にいた自分ですが、何も出来ない自分に後悔をこめて、少しでもお役に立てることが出来ないかと考えています。
ビールの美味しい季節 (2005-6-27)
今日の一日(夕食までの)
7:30
起床、まず布団あげ。キッチンガーディン見回り、特に直播のキュウリとエダマメの育成状況チャック 7:50~9:00
掃除機かけ→朝のドラマと朝食→雑巾賭け、 自分の布団の上げ下げと拭き掃除と食器拭きが私の担当
9:00~10:00
メールとホムトレードチェック、松井ヤンキース戦観戦
10:00~13:00
明日「いきいき河川」のおぼろ川調査のための事前踏査
13:00~14:00
昼食:自炊(冷麦とかやくご飯) お上さんは月曜日は体操教室で外出
14:00~16:30
自宅の散水用の塩ビパイプの配管を一部敷設変え工
16:00~17:00
日常行事の市民農園へ、見回りと収穫、
17:00~18:00
テレビ囲碁観戦、
18:00~現在
シャワー浴び後、ビール飲みながらパソコンたたいています。疲れた体にビールが美味。
19:30 「魚が焼けた」と階下から声あり、、、 再度、声!あり!
7:30
起床、まず布団あげ。キッチンガーディン見回り、特に直播のキュウリとエダマメの育成状況チャック 7:50~9:00
掃除機かけ→朝のドラマと朝食→雑巾賭け、 自分の布団の上げ下げと拭き掃除と食器拭きが私の担当
9:00~10:00
メールとホムトレードチェック、松井ヤンキース戦観戦
10:00~13:00
明日「いきいき河川」のおぼろ川調査のための事前踏査
13:00~14:00
昼食:自炊(冷麦とかやくご飯) お上さんは月曜日は体操教室で外出
14:00~16:30
自宅の散水用の塩ビパイプの配管を一部敷設変え工
16:00~17:00
日常行事の市民農園へ、見回りと収穫、
17:00~18:00
テレビ囲碁観戦、
18:00~現在
シャワー浴び後、ビール飲みながらパソコンたたいています。疲れた体にビールが美味。
19:30 「魚が焼けた」と階下から声あり、、、 再度、声!あり!
自治体とのかかわり (2005-6-26)
午前は例によって滋賀里市民農園へ出勤。去年は害虫(野菜をつくる人間にたいする)、特にてんとう虫だましの異常発生で大変だったが今年はなぜかほとんど見当たらない。これも気候の変状によるのだろうか、とりあえず大助かりだ。盛りはキュウリからナスビに移ってきた。はじめてのジャガイモ作り、おそるおそるためし堀。一株に12個、これならまあまあの出来だ!?来週にも京都の義弟夫婦を招待しよう。午後は組長さんに広報の配布の日である。今年度、退職したことでもあり、自治会の副会長をお引き受けした。おもにやることはといえば自治会の総会などの寄り合いの出席と月に2回の市の広報誌の配布と数回の緊急連絡の回覧である。我が自治会は会員208世帯、組数12組と唐崎学区でも大きな自治体である。組別に仕分けして各組長さん宅に届けるのだが、配布物が多いときは大変である。3,4時間はかかる。こんなことを引き受けられるのもリタイヤして時間があるからと自分に言い聞かせながら、炎天下のなか汗をかきかきネコ(一輪車)を押して回る。これも会社人間を離れて体験した自治体とのかかわりです。 写真は滋賀里市民農園の全景、私は右の奥の16m2(2000円/年)のお百姓さん
高尚な趣味(2005-6-25)
午前は市民農園へ。里芋の土寄せ、水やり、ナス、キュウリの収穫、そしてお得意さんへの配達と野菜作りも炎天下のなかで大変です。午後はびわ湖ホール(初めて)の演奏会に出かける。淡海生涯カレッジの学習グループで一緒だった田中さん(大津環境フォーラムの先輩でもある)に招待していただいた。大ホール(1800人収容)は満席で、私より御年配のかたが多いとお見受けしたメンバー60名の大合唱。音痴なわたしですがいたく感激し、うらやましく感じる。随所に粋な演出がほどこされており、ホール外(ホワイエ)のお別れの見送り合唱は印象的だった。そのあと、水彩画展(石原誠治氏)の鑑賞に浜大津の古今さん(ぎゃらり古今)に立ち寄る。ペンで描いたデッサンにきれいな色使い(彩度?明度?がたかい)の淡水画。すがすがしい気分にしてくれる。この方も私よりいくつか上の方。歌を唄う、絵を描くという趣味の人はうらやましいかぎり。妻が京阪電車の中で私に言います。「歌といい、絵といい高尚な趣味やね」(あんたと違って)趣味は一朝一夕では間々ならず。フリータイムといえば競馬などのかけごとに金と時間を浪費したことが悔やまれる。自業自得なり。びわ湖ホールの感想(前にいた会社の施工)ホールのなかは外観に比べていたってシンプルな装飾。歴史、荘厳さは感じられない。ホワイエからのびわ湖の眺めは絶品。内部装飾のシンプルさがかえってこの眺めを引き立てている。 観て、聴いて 素晴らしきかな レイクビワ
昔取った杵ずか(2005-6-24)
徒然なるままに(2005-6-23)
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