古都大津歴史街道探訪(北国海道1)
「近江大津宮跡と渡来人の郷をゆく」
11月28日(土)大津港前広場に、「近江大津宮跡と渡来人の郷をゆく」への参加者45名が集まりました。
冒頭松井会長からの挨拶、そして集まったこの広場が約400年前の大津城の本丸跡であり、天下分け目の関が原の合戦の勝敗に大きく影響を与えた「大津城攻防戦」があった所であるとの説明を受けた後、本日の目的地へ向け2班に分かれて出発しました。
近代の文化遺産とも言うべき琵琶湖疏水、古代最大の内乱と言われる「壬申の乱」にてわずか5年の短命の都となった近江大津宮跡、そして乱の敗者・弘文天皇(大友皇子)の長等山前御陵(ながらのやまさきのみささぎ)、かつての「近江大津宮」のすぐそばに天智天皇を祭神として鎮座する「近江神宮」や、天智天皇勅願の崇福寺跡など天智天皇ゆかりの史跡を巡りました。
また、湖西の山麓に数多く点在する渡来人の古墳、百穴古墳群や熊ケ谷古墳群等々、近代から古代にかけての史跡を訪ね歩きました。
当日は、天候にも恵まれ快晴のもと、西近江路の史跡探訪を楽しみました。史跡のいくつかは山中か小高い丘の上にあり、時には息を切らせながらの史跡探訪となりました。
参加者からは「日頃車で何気なく通り過ぎている道路のすぐ傍に、このような遺跡があるなんて」との声も聞かれました。
今回の参加者の中には、史跡探訪とともに紅葉見物をも期待していた方もおられたのではと思いますが、今回私たちが歩いたコースでは、11月の中旬までの平均気温が高かったことにより、色づきがいまひとつで紅葉は残念ながら期待はずれとなりました。
◇実施期日 平成27年11月28日(土)
◇歩いたコース(10時~16時 約9キロ)
京阪浜大津駅⇒札の辻⇒青龍寺⇒北国橋(琵琶湖疏水)⇒
北国海道町並み⇒弘文天皇陵⇒新羅善神堂⇒皇子山古墳⇒
近江大津宮錦織遺跡⇒近江神宮⇒南滋賀廃寺跡⇒百穴古墳群⇒
志賀大仏⇒崇福寺跡⇒桐畑(熊ケ谷)古墳群⇒京阪滋賀里駅(解散)
◇参加者数 45名
◇班 体 制 2班(おやじのたまり場6名でガイド)
写真クリックで拡大
1班 皇子山古墳前にて
2班 皇子が丘公園にて
近江大津宮錦織遺跡にて
近江大津宮錦織遺跡にて
近江神宮にて
南滋賀町廃寺跡にて
「近江大津宮跡と渡来人の郷をゆく」
11月28日(土)大津港前広場に、「近江大津宮跡と渡来人の郷をゆく」への参加者45名が集まりました。
冒頭松井会長からの挨拶、そして集まったこの広場が約400年前の大津城の本丸跡であり、天下分け目の関が原の合戦の勝敗に大きく影響を与えた「大津城攻防戦」があった所であるとの説明を受けた後、本日の目的地へ向け2班に分かれて出発しました。
近代の文化遺産とも言うべき琵琶湖疏水、古代最大の内乱と言われる「壬申の乱」にてわずか5年の短命の都となった近江大津宮跡、そして乱の敗者・弘文天皇(大友皇子)の長等山前御陵(ながらのやまさきのみささぎ)、かつての「近江大津宮」のすぐそばに天智天皇を祭神として鎮座する「近江神宮」や、天智天皇勅願の崇福寺跡など天智天皇ゆかりの史跡を巡りました。
また、湖西の山麓に数多く点在する渡来人の古墳、百穴古墳群や熊ケ谷古墳群等々、近代から古代にかけての史跡を訪ね歩きました。
当日は、天候にも恵まれ快晴のもと、西近江路の史跡探訪を楽しみました。史跡のいくつかは山中か小高い丘の上にあり、時には息を切らせながらの史跡探訪となりました。
参加者からは「日頃車で何気なく通り過ぎている道路のすぐ傍に、このような遺跡があるなんて」との声も聞かれました。
今回の参加者の中には、史跡探訪とともに紅葉見物をも期待していた方もおられたのではと思いますが、今回私たちが歩いたコースでは、11月の中旬までの平均気温が高かったことにより、色づきがいまひとつで紅葉は残念ながら期待はずれとなりました。
◇実施期日 平成27年11月28日(土)
◇歩いたコース(10時~16時 約9キロ)
京阪浜大津駅⇒札の辻⇒青龍寺⇒北国橋(琵琶湖疏水)⇒
北国海道町並み⇒弘文天皇陵⇒新羅善神堂⇒皇子山古墳⇒
近江大津宮錦織遺跡⇒近江神宮⇒南滋賀廃寺跡⇒百穴古墳群⇒
志賀大仏⇒崇福寺跡⇒桐畑(熊ケ谷)古墳群⇒京阪滋賀里駅(解散)
◇参加者数 45名
◇班 体 制 2班(おやじのたまり場6名でガイド)
写真クリックで拡大
1班 皇子山古墳前にて
2班 皇子が丘公園にて
近江大津宮錦織遺跡にて
近江大津宮錦織遺跡にて
近江神宮にて
南滋賀町廃寺跡にて