この志賀八幡神社の起源はいつなのか?資料は消失してわからないようだが、市歴史博物館にある旧西国道のルートは南滋賀廃寺の東道路からこの志賀八幡神社の参道を迂回して倭(しどり)神社、穴太廃寺跡にいたっている。
*倭神社:天智天皇のお后・倭姫をお祀りした神社
私はかってに大津宮前後と想定している。
我が家から数分のところにある八幡さんのお祭りを見に出かけた。
神社の周りはすでに大勢の人たかり。
参道の階段の下には今年の当家がもつ3つの鉾が立ち並ぶ。
滋賀里、南志賀、蟻の内に昔から受け継がれた方法で(毎年)作られる。
お稚児さんにみこしの担ぎ手もせい揃い。宮司の中西の神事の作法にしたがって式が進んでいく。
長い青竹の鉾を立てて祭殿に運ぶのは(当家と)大変そうだ。
おやじのたまり場の仲間が子ども会の会長とかで子供みこしの先導で汗だくだ。
撮った写真を後ほど手渡そう。
PM7時からの御還幸にもでかける。
参道のたいまつの炎の中を行ったりきたり。
南滋賀と滋賀里の神輿二つが勇ましい掛け声と勇壮な姿で!
元気だなあ!うらやましいなあ!
スナップ写真八幡神社のお祭り
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